偏見
世の中にはたくさん有る言葉だ
言うまでも無く、ここで述べたいのは「バイク」に対してである。
2003年・・・各オートバイメーカーが苦悩している現在
何故オートバイの販売台数が減少しているのか、メーカーは人々の心を掴もうと
多種多様なバイクを発表しながらも結局販売に結びつかず車種の整理をする始末・・・
その前にやらなければいけない事があるのではないか・・・
16歳になったらオートバイの免許が取れる。僕はその時が来るのをとても楽しみにしていた、皆もそうだったと思う。
そして当然免許を受けに行き、それをもらった時はとても喜んだ。しかし、その喜びを奪う者がいる。
それは多くの高校(校則)だ。せっかく免許を取得したのに当校はオートバイでの通学を禁止する、或いは免許を取得したら卒業まで
その免許証を学校側で保管すると言う非常に独裁的な馬鹿げた話だ。
何故そのような人権を無視したような事が出来るのか、生徒達は学校を退学させられたくないから止むを得ず従うのだ。
日本国で定められているものを一体何の権限を持ってそのような事を行うのか、
それは偏見に他ならない。
オートバイで通学途中に事故を起こすと困るから、暴走行為をして警察沙汰になると学校側に迷惑がかかるから・・・
直接教師に聞くとこのような答えだ。しかし教師は自動車やバイクで通学している。事故を起こさないのか?スピード違反をしないのか?
オートバイは危ないからと言う者がいるが、何故「車」と差別するのか、自動車事故の方が遥かに多いのに。
そして学校にはもっと危ない物が沢山ある、たとえばカッターナイフや鋭く尖ったものや、金属バットなどと探せばいくらでも有る。
それらを使い方によっては充分な凶器になる事を理解していないのではないだろうか?
子供達に物を教える時には正しい使い方を教えるのだから、カッターナイフでもオートバイでも正しく教えれば良い。
それをしないで危ない物をただ取り除くだけでは何の解決にもならないのではないのだろうか・・・
何でも間違った使い方をすれば危ないと言う事を再確認して頂きたい、偏見は指導する立場の人にとって不利である。
このように16歳で免許を取ってもオートバイに乗れない若者はやがて18歳になり、
その頃には卒業するから呪縛から解かれて自動車免許を取得する。
若者はいったい、いつオートバイに乗るのか、その楽しみを知らず成長してしまう・・・
偏見
オートバイの種類や乗っている者が男か女か、それは人々の自由であり口出しする事ではない。
「女のくせに・・・」などと差別したようなセリフを未だに聞く事がある。それを聞くと「男のくせにバイクに乗れないヤツもいる!」
と、言いたくなってしまう。オートバイだけでなく、スポーツや政治や仕事の世界でも、そのような偏見はいけない。
オートバイなど戦後の日本ではオートバイメーカー各社が女性を宣伝に採用しているし、実際に乗っているのだ。
趣味や仕事の世界に男も女も区別はない。
三ない運動